進化の年!

あけましておめでとうございます。

今年も丸田ししゅうを宜しくお願い致します。

 

昨年は様々な方に助けて頂き、時にはご迷惑をお掛けしながらもなんとか乗り切ることができました。

おかげ様で全部で12台ある機械がほぼ毎日稼働しているような状態になり

非常に充実した1年となりました。

 

刺しゅう業という非常にニッチな分野ではありますが、新規問い合わせも多く頂き

大型の機械に関しては早速1ヵ月の予定が埋まっている状態でのスタートとなります。

 

 

平成元年(=1989年)から始まった有限会社丸田ししゅう。

令和7年(=2025年)になり36期目になる会社ですが、ここに来るまでもちろん紆余曲折ありました。

なので、今回は新年らしく会社の過去・現在・未来について解説していこうと思います。

興味があれば読み進めていってくださいね。

 

過去(1989~2014年)

現社長の丸田良一が創業した年は私もまだ生まれたばかり(1986年生)なので、当然聞いた話になりますが

当時東京で勤めていた刺しゅうの会社から独立した形で1989年8月に創業しました。

 

茨城県結城市の米倉を改装して刺しゅうの機械を入れ、工場として稼働させたものの

最初は機械を動かすほどの多くの仕事があるわけではなく、かなり切り詰めた生活をしていたそうです。

 

当時はアパレルメーカーや縫製工場の下請けとしてしか仕事を受注する手段がなくて

毎日のように東京の会社訪問するわけですが

受付で名刺を渡してその場でゴミ箱に捨てられたこともあったりと

なかなか営業面で苦労することも多かったと聞いています。

 

しかし営業活動が徐々に実を結んでいき、とある子ども服やブラウス関係の会社の刺しゅう業務を任されるようになり、仕事は安定してきました。

年代でいうと1990年の終わり頃になり、加工単価も今よりずっと高かったので、現在まで含めても過去最高の業績を出していましたと聞きます。

 

この景気が続けばよかったのですが、2000年代に入ったあたりで大きな変化が訪れます。

ユニクロをはじめとして衣類の製造が中国やベトナムなど海外生産をメインとするようになり

国内の縫製業はみるみるうちに衰退していってしまいました。

 

刺しゅうは縫製に付随していたサービスなので当然のように刺しゅうの依頼は減っていき

海外生産のファストファッションが主流になるにつれて、中間の価格帯の国内ブランドも少なくなっていき

先日の子ども服ブランド、ブラウスも事業停止になってたちまちに丸田ししゅうの業績が悪化しました。

 

人を雇うこともできなくなり、定期預金を解約して生活をしのいでいたとのことで、かなり追い込まれていたのが伝わります。

こうなると仕事も選んでいられないので、下請けのさらに下請け、そのまた下請けの仕事なども引き受けるしかなくなり、やってもやってもほとんど利益を出せない日々が続いて創業期依頼の暗黒の時期が数年続くことになります。

現在(2014年~2024年)

2010年代に入ると、人づてにとあるブランド品の刺しゅうに関わることになり、2014年頃にその人気が爆発して一気に生産量が増えました。

求められる品質や納期も厳しかったですが、機械のスケジュールも徐々に埋まっていき業績も安定するようになりました。

これまで培ってきた社長の縁が身を助けてくれたものとして、大変感謝をしております。

 

そんな中2017年に私は入社しました。

先述のブランドの仕事が全体の90%を占めている現状に大きな危機感を抱いていた私は

ネットから注文を受け付けることで、その他の仕事を増やして売上構成比を変えていくことを目指しました。

 

結局のところメーカーと言えどお客様と直接繋がる力=営業力が無いと有利な条件で取引することが難しくなると悟った私は、アパレルの関係者ではなく、ロットが少なくても一般の方のご依頼を受けるように心がけました。

それもなるべくたくさんの方と繋がることで、1極集中を防いでリスク分散を減らす狙いもありました。

 

この動きも始めてすぐはなかなか形にならなかったのですが2020年頃から徐々に機械のスケジュールが確保できないほどブランドの仕事に+αでその他の仕事を増やしていくことができたのですが、また課題もできました。

 

それは問い合わせの数が増えたことで私の手が空かなくなってしまう為、営業社員を採用することにしたのですが、価格設定や対応に関してのマニュアルを整備することです。

スモールビジネスにおいては個人事業主、またはその家族だけで経営することでリスクを回避するのが一般的だと思うのですが、当社は諸事情により両親以外の家族の手助けは期待できなかったので、採用・教育で受け手を増やすようにせざるを得なかった背景があります。

自分で行うのと、人にやってもらうのでは判断に天と地の差があり、非常に繊細で難しい仕事でしたが幸いにしてポテンシャルの高い方にきてもらえたので、何とか今に至るまで大きなトラブルも無く、ある程度大きな依頼も任せられるところまでもっていくことができました。

 

未来

それらを踏まえた上で、2025年はさらなる育成の年にしていきたいと考えています。

具体的には2024年4月に入社した新卒ちゃんの営業トレが始まりますので、基本的なビジネスマナーから見積り作成の仕方、刺しゅう用データの作成といったところまで教えていく予定です。

 

至らないところもあるかと思いますが、見守って頂けたら嬉しい限りです。

 

また、製造スタッフさんも新しいことにチャレンジしてもらったり、教える側に立ってもらうことで

様々な面で成長してもらい、お客様からのより一層の期待に答えられるチームを目指します。

 

なので、私は通常の業務と並行して、社内社外のマニュアルや資料作りに追われています。

たぶん見る人が見たらずっと座ってPCいじって楽そうでいいねという風に写るのでしょう。

しかしわたしが作った仕組みが会社の方向性を決め、お客様が受ける印象を決め、お金と時間の使い方を決めていきます。

プレッシャーは半端じゃないです。

降りてきた仕事をこなすだけだったらどれだけ楽なことかと思います。

 

私は私のできることを精一杯やるだけなので、ノイズもなるべく気にしないように頑張っていきたいと思います。

2025年1月
« 12月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031